【激務と残業】官僚の働き方を見て思う、安易な「官僚叩き」について
『霞が関不夜城で1万人が過労死の危険感じ働く、モリカケ問題等で残業・心の病・転職者が急増』の記事を読みました。
かつて、官僚に対するイメージは最悪でした。
わたしが10代の頃は、マスコミによるバッシングのピーク。
しかも、高校の部活で顔を出すOBに官僚がいて、唯一影で呼び捨てにされていたような人だったこともあり、皆が皆ロクでもない人種だと思っていたのです。
今ではマスコミに踊らされていた面もあったのが分かり反省しています。
特に近年は政治家に振り回され長時間労働が蔓延しているという同情の念すら持つようになりました。
今回は、官僚と働き方について考えていきます。
目次
官僚のマイナスイメージと現実
とかく官僚というのはインターネットが発達する前から、いや、むしろインターネットが発達する前にバッシングのピークがありました。
- 学歴社会の頂点(勉強“だけ”はできるよね)
- 国の根幹に関わる仕事をして高給取り
- 過剰な接待や裏金にまみれた生活
テレビや週刊誌に出てくる官僚のイメージはこのような一面ばかり。
何か不祥事が起ころうものなら鬼の首を取ったような盛り上がりがありました。
知られるようになった官僚の激務と人生
とはいえ、最近は風向きが変わってきた感があります。
これから紹介するようなことは、かつてのバッシング一辺倒の報道ではありえないことです。
国会対応に伴う過酷な長時間労働・日をまたいだ残業
ただでさえ仕事の多い職場で、さらに国会対応に伴う過酷な長時間労働や民間のブラック企業も真っ青な残業時間が知られるようになりました。
冒頭に紹介した記事を読んでみると、「過労死の危険を感じながら働く」の表現もまったく大げさではないのが分かります。
野党による「ヒアリング」という名の恫喝
時の野党による「ヒアリング」という名の恫喝も話題になりました。
「ただの“官僚イジメ”だ」の声に、野党も姿勢を改めるざるを得ないほどのインパクトがあったのは、これまでは考えられないことでした。
残念なことではありますが、国のためではなくパフォーマンスを優先するばかりの政治家の犠牲になったと言わざるを得ません、
人のために国のためにできることはたくさんある
言うまでもなく、官僚も同じ人間です。
人のために国のために働くのは美しいことですが、自分自身が犠牲になってまで働くのは美徳ではありません。
そもそも、自分自身が満たされていないのにどうして他人のことを考えることができるのでしょうか。
わたしたちは、真剣に国が良い方向に行くような意識でいることで、間接的にとはいえ、貢献できることがあります。
- 投票行動をする事で意思を示す
- マスコミによる偏った報道を鵜呑みにしない
- 一人の不祥事を全員のものと捉えない
結局、優秀な人が誰も官僚を目指さないことは、巡り巡ってわたしたちの生活を脅かすことになります。
それを意識すれば安易な「官僚叩き」を慎むべきと考えるのが自然です。
それではまた別の記事でお会いしましょう。