嫌なことを忘れるために本当に役立ったこと【思い出してしまう】
生きている中で、何らかの嫌なことはつきものです。
自信満々で取り組んだことが失敗してしまったり、間違いなく採用されると思っていた提案が見向きもされなかったり。
あるいは、あなたはまったく悪くないのに誹謗中傷まがいのことを言われたり、人間関係において理不尽なトラブルに巻き込まれたりと様々。
そうした記憶がふとした瞬間に甦り、怒りや悔しさが込み上げてきて叫びたくなることもあるでしょう。
月日はそれなりに経っているのにもかかわらず、生々しい実感とともに思い出されるのはどうしてでしょうか。
様々な対処法の中で、ここでは哲学者の考え方を紹介します。
チャレンジに伴う失敗を思い出す
歳を重ねるにつれて分別がつき、手痛い失敗を恐れて傍観者をきどり、難しいことには手を出さない。
現状維持が最優先の生き方に落ち着く人は多く存在します。
しかし、失敗を恐れずチャレンジした人と比較して、現状維持の生き方を選んだ人と、どちらが「精一杯生きた」といえるでしょうか。
19世紀を代表する哲学者フリードリヒ・ニーチェは、以下のように生き方を表現しました。
- 現状維持的な“賢く理性的な”生き方:アポロン的な生
- 振れ幅の大きい運命に翻弄される生き方:ディオニュソス的な生
ディオニュソス的な人生においては、チャレンジをする中で様々な体験が生まれ、辛いことや不幸も生まれます。
しかし、それと同じあるいはそれを上回る幸福もあるでしょう。
それは、生がぐるぐると循環していて、幸せで楽しい体験も思い出したくもない失敗の体験も、同じように因縁でつなぎ合わされて巡り巡っているからなのです。
この思想は「永劫回帰(えいごうかいき)」と呼ばれます。
いい思い出も不幸な体験も両方あるから人生が楽しい。
振れ幅の大きい人生こそ愛し、楽しめ! というわけですね。