柳田悠岐選手に学ぶ憧れの職場と活躍できる職場
今回は、柳田悠岐選手が2017年のオフに福岡ソフトバンクホークスと複数年契約を結んだ時に考えたことを書きます。
ズバリ、「憧れの職場と活躍できる職場」についての話題です。
目次
かねてから、広島出身でカープファンであることを公言していた柳田悠岐選手
フリーエージェント(FA)権を取得後、広島カープに行くのではないか?という噂がありました。
しかし、3年という契約から少なくともその期間については移籍がなくなったことを意味します。
柳田選手といえば、日本プロ野球界において屈指の強打者。
「メジャーで通用する日本人野手は誰?」とファンに聞けば、まちがいなく上位にランクインする選手でしょう。
そのような選手がソフトバンクに残ることを選択したのには、どのような意味があるでしょうか?
柳田悠岐選手・福岡ソフトバンクホークス残留の意味とは?
福岡ソフトバンクホークスが常に優勝を狙えるチームであること
まずは、福岡ソフトバンクホークスが常に優勝を狙えるチームであること。
やはり、プロとしてやっている以上、「優勝したい」というのは誰しも思うところです。
国内外問わず、移籍先の選定について「優勝を狙えるチーム」というのはしばしば見聞きします。
柳田選手にとってもモチベーションになっていることは容易に想像できる話です。
時々、優勝できないチームから優勝を狙えるチームに移籍したつもりが、逆に古巣が優勝してしまう“不運”があってネタになりますね。
ただ、少なくとも当分の間、ソフトバンクは常に優勝を狙えるチームであり続けるでしょう。
孫正義オーナーも、V10を本気で狙っていることを語っていました。
かつての巨人を超えたい思いが強いようですね。
チームによっては優勝してしまうとチームの年俸が高騰してしまうことから、あまり大勝ちを望まない場合もあります。
しかし、ソフトバンクは12球団一の資金力があるのですから、そのあたりもまったく問題にならないでしょう。
柳田悠岐選手に対するソフトバンクの評価
次に、柳田悠岐選手に対するソフトバンクの評価です。
3年総額12億円というのは、少なくとも日本国内においては破格。
常勝軍団を目指す球団においても、中心選手であることの評価に柳田選手本人も満足している旨のコメントがありました。
「必要とされている球団で」というこれまた選手がよく口にする価値観に合致したものです。
ファンであることと所属球団については必ずしも一致しない
最後に、ファンであることと所属球団については必ずしも一致しないことが挙げられます。
かつて、“ハマの番長”こと三浦大輔投手が阪神タイガースに移籍するかどうかという話題がありました。
本人としても心が動く決断だったようですが、結局横浜ベイスターズに残留することを選択したわけです。
「ベイスターズの三浦」であることを選択した結果、ファンから長く愛される存在になりました。
将来的なことは分からないし、現役の終盤になって移籍する可能性はあるにせよ、少なくとも20代の時期については「ホークスの柳田」であることに価値を見出したのでしょう。
柳田悠岐選手、広島カープ移籍の可能性と条件とは?
「パ・リーグの福岡ソフトバンクホークスでやることはやりきった、次はセ・リーグだ」
これは、かつて北海道日本ハムファイターズから読売ジャイアンツに移籍した小笠原道大選手が当てはまります。
日本ハムで優勝を経験し、パ・リーグでやることをやった小笠原選手はセ・リーグの巨人に移籍したわけです。
今後、柳田選手がソフトバンクでやることはやりきったと思える日が来れば、それは移籍を模索する時期と言えます。
「福岡ソフトバンクホークスの若手に活躍してほしい」
やりきったことにも関連しますが、かつてイチロー選手がマリナーズから移籍した状況が似ています。
「僕はここにいるべきではない」趣旨の発言を残し、ヤンキースに移籍をしました。
柳田選手の立場を脅かす選手が出てこない状況でも、もうそろそろ“ポスト柳田”が出てこないとダメと本人が判断すれば、これも移籍の理由になりえます。
「お世話になった人たちに自分の勇姿を見せたい」
これは、現役中盤から終盤に移籍する多くの選手が当てはまります。
やはり「最後は地元で」となるのは、プロ野球選手のみならず、多くの分野で強いモチベーションになるのでしょう。
元のチームのファンにとっても「地元に帰るならしょうがない」とあきらめ(?)もつきやすいのがこのパターンと言えます。
柳田悠岐選手、広島カープ移籍の可能性と条件・まとめ
ここまで、 柳田悠岐選手について福岡ソフトバンクホークスと広島カープ両球団残留と移籍について考察してきました。
どの球団に在籍するにせよ、日本プロ野球界における至宝。
今後の活躍に期待ですね。
今回の話が「憧れの職場と活躍できる職場」について考えるきっかになればと思っています。
それではまた別の記事でお会いしましょう。