人のチャレンジや失敗をいちいち笑う人・叩く人は、まったく行動したことのない人
今まで、自分自身でチャレンジをしたり人のチャレンジを応援してきました。
そこで感じるのは、いつの時代も
チャレンジしてる人を笑うのが生き甲斐
のような人たちが確実に存在すること。
しかも、2000年と2010年そして今を比べるのなら、だんだんとそのヒドさが増していると感じます。
理由の一つにSNSを使っての発信が一般化したことによる「一億総評論家」とでもいうべき現象。
特に、誰かが失敗した時の「それ見たことか」の大合唱ははたから見ていて醜いものです。
人をバカにすることの中でも典型的なこのパターンについて考察していきましょう。
(※目次の項目をクリックすると、その箇所をすぐに読めます)
目次
人は他人がやっていることはカンタンかつ楽に見える
何かをやる大変さや苦しさは、当事者になってみないと分からないものです。
例えば、同じ場所でじっと立っている警備員。
動き回る仕事に比べれば、楽に見えてしまいます。
ただ、似たような状況を経験した時に
これは何よりもキツイ…!
となった経験があり、あちこちの警備員さんを尊敬の眼差しを持って見るようになりました。
安全圏から人を叩くのは楽に優越感にひたれる悪魔の娯楽
何かの楽しさを知るまでの過程には、つまらない工程を経験することが大半です。
例えばバスケットボール漫画で最も有名な『スラムダンク』。
主人公である桜木花道は、バスケ初心者であったため入部当初はひたすら“キソ(基礎)”の練習に明け暮れる日々が続きました。
一方、何かに打ち込むことができない人は、あらゆる「努力を伴う楽しさ」について、早い段階で挫折します。
そんな挫折続きの人でも快楽を得るためにできる数少ないことが
「安全圏から人を叩く」こと。
人がチャレンジをしようとする時や、その過程で失敗した時に「それ見たことか」と笑うのは、お手軽に「上から目線の評論家」になる最短ルートなのです。
人のチャレンジや失敗をいちいち笑う人・叩く人は、まったく行動したことのない人、まとめ
ここまで、人のチャレンジやそれに伴う失敗について考察してきました。
知っていることと実際に行動をすることの差は大きく、行動することと行動し続けることの差も大きい世の中です。
各自に選択の自由はあるものの、行動し続ける側にしがみつくことができるようにいたいと思っています。
あたなは何を選択しますか?
それではまた別の記事でお会いしましょう。
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